この記事は2022年9月に書いています。35話まで放送されていますが、さかのぼって8話の感想をお届けします。
「いざ鎌倉」や「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」はなじみのあるフレーズですね。
歴史研究が進んで、今では鎌倉幕府成立は頼朝が征夷大将軍に任命された1192年ではなく、守護・地頭をおいた「1185(いいハコ)」や、侍所ができた「1180年」など、段階的に作られていったということで、年号を明示しないのが主流のようです。
入退場の激しい『鎌倉殿の13人』ですが、改めて見直しみると、「この人、何話で登場した」や「ここがポイントだ」というのが、じわじわ見えてきて、一人一人を追いかけて楽しんでいます。
畠山重忠「見栄えのいい男」についても、8話から輝かしい歴史が始まりました。
義経も7話のエンディングでちらっと顔出しがあり、8話から正式に登場しています。
忘れていた部分もありましたので、見直してみての感想や気づきをお届けします。
まだ『鎌倉殿の13人』を見ていない方や、何話か見たけれど見逃している方の参考になれば幸いです。
いざ鎌倉
石橋山の戦いで大敗して、千葉に逃れていた頼朝が、上総広常や周辺の豪族を従えてどんどんその数が膨れ上がり、総勢3万になりました。
8話「いざ鎌倉」では、頼朝と多くの御家人が鎌倉入りします。
頼朝自身も「いざ鎌倉!」と言って、目指すところが面白いですね。御所の位置が大倉に決められた経緯も、なるほどと思いました。
老兵の岡崎義実(たかお鷹)は長年、頼朝の父・義朝に仕えていました。
鎌倉の御所用地に、義朝の館があった場所で、今は岡崎が守っている場所をぜひにと勧めます。
義時はその旨を頼朝に伝えますが、頼朝は、もっと土地が開けているところがいいと大倉に決めます。
地図を見ると、確かに義朝の館跡(現在の寿福寺)は背後に山が迫っていて、傾斜もかなりある土地です。
頼朝は、御家人の意見に左右されないぞという決意と、京の都のような御所を目指していたので、平らな土地の大倉に決めました。
頼朝と岡崎の間に入った義時は困っていましたが…。
「見栄えのいい男」のルーツはここ
畠山重忠(中川大志)が頼朝軍に降伏してきます。
和田義盛(横田栄司)は大反対、お祖父さんを殺された義村もしぶしぶですが、父・三浦義澄(佐藤B作)が、自分の父を討ち取られた憎しみよりも
「大義のため、畠山重忠という男が必要かどうかじゃ。」と言います。武士ですね。
頼朝が「味方に来てくれたものは大事にせねばな」ということで、畠山重忠を迎え入れます。
そして、相模入りの先陣を畠山重忠の命じました。もともとは上総広常の役目だったので、義時がそれは…というと
頼朝が
「若くて見栄えのいい方がいいのだ、重忠にしなさい。」
ここから「見栄え」ワードが使われ始めました。
上総広常は怒ります、当然です。
畠山重忠は頼朝の命ならば、と平気な顔をして先陣にいます。
ここで変な小細工をしないところが畠山重忠たるゆえんだと思いました。
重忠が先頭を切っていく場面がどんどん増えていきます。もちろん女性陣からの評価は絶大です。
三浦義村(山本耕史)の機転が炸裂
御家人もだんだん人数が増えてくると、まとまらなくなり、頼朝と御家人の間に隙間風が吹いています。
こういう時に決まって間に立つのは安達盛長と義時です。
そして義時が相談するのは、いつも三浦義村です。
義時が義村・平六に泣きつきます。義村は頼朝と家人の様子を見て
「家人と飲んでいる姿を見たことがないのでね」と頼朝に酒の席に加わるように促し
上総広常に対しては
「武衛(ブエイ)というのは、唐の国では親しい人を呼ぶとき、こう呼ぶらしい」
と刷り込みます。
武衛(ブエイ)=朋友 という図式が上総広常の頭には出来上がりました。
義村、頭良すぎですね。自分は憎まれないで、うまく組織をまとめていく人です。
梶原景時、いちぬけ。
梶原景時が大庭勢から離脱しました。
そこにちょうど、義時が鎌倉入りする政子、りく、実衣の着物を貸してくれないかと梶原の館を訪ねます。お膳立ては整いました。
梶原景時は盆栽の手入れをしていました。風流を好む武士です。
梶原景時も上総広常も、頼朝に対する以上に、義時に対する信頼が強くなっていく様子が伝わってきます。頼朝につくのも時間の問題です。
源 義経(菅田将暉)
8話「いざ鎌倉」では、義経の傍若無人ぶりを大々的にアピールしていました。
ウサギを仕留めた野武士を仕留めたり、お箸で里芋が挟めなくて、串刺しにしたり…。
礼儀やお行儀をここまで極端に描くと、義経に対する一種の先入観が完成します。
ですが、里芋の煮物を差し入れた腰越の藤平太という者を、義経はちゃんと覚えていました。
18話「壇ノ浦で舞った男」の最後、腰越で足止めされている義経が藤平太たちに里芋をごちそうしていました。最後に良い人になるパターンです。
政子の鎌倉入り
鎌倉に仮の御所が建設される中、頼朝たちに遅れて、政子、大姫、りく、実衣が鎌倉入りします。
お披露目の意味があるので、姿の見えない駕籠ではなく、簡素ですが輿に乗っての鎌倉入りです。
このシーンはお昼間に外で撮影されていて、自然光の下での政子と頼朝の表情や、周りにいる人たちの顔色が明るくていいシーンです。
屋敷の中での撮影は、どうしても全体的に暗くなりますが、政子の晴れやかな気持ちと頼朝の決意を代弁しているようで、大好きなシーンです。
義時のホッとした表情が印象的で、亀(江口のり子)がちらちらしているのが笑いを誘います。
まとめ
8話「いざ鎌倉」はみんなが鎌倉に向かって一直線に進む様子が描かれていて、明日への希望を感じる放送回です。
義経が富士山を目指したり、義時が相模湾をバックに歩いてくる姿など、大河ドラマらしいシーンがいくつもありました。
最後は八重さんの背後にいる江間次郎、というサスペンスのような場面で終わっていますので、次は厳しい回になることが予想されます。
何度も見ているのですが、見るたびに新しい発見があります。
鎌倉にも7月以来、訪れていないので、鎌倉駅周辺や足をのばしてゆかりの地めぐりもしたいと、改めて思いました。
>>こちらの記事で『鎌倉殿の13人』のあらすじネタバレを全話紹介 しています。
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