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【TSUTAYA】と『べらぼう』の蔦屋重三郎との関係は?

TSUTAYAと『べらぼう』蔦屋重三郎の関係は? べらぼう
TSUTAYAと『べらぼう』蔦屋重三郎の関係は?

1月5日から放送が始まった2025年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。主人公は江戸のメディア王・蔦屋重三郎。演じるのは横浜流星さんです。

「TSUTAYA(つたや)」という名前を聞くと、当メディアでご紹介しているレンタルソフトチェーンの「TSUTAYA DISCAS(ツタヤディスカス)」を思い浮かべる方も多いと思いますが、はたして蔦屋重三郎と「TSUTAYA」には関係があるのでしょうか?祖先?親戚筋?気になりますね。

結論から申し上げますと、蔦屋重三郎と「TSUTAYA」に血縁関係はないそうです。

この記事では、

・蔦屋重三郎とはどんな人物なの?
・TSUTAYA創業者・増田宗昭(ますだむねあき)さんの経歴
・蔦屋重三郎とTSUTAYAのかかわり

について、お届けします。

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蔦屋重三郎とはどんな人物?

↓こちらの本の巻頭で「まじめな口上」を述べているのが、蔦屋重三郎さんです。

『箱入娘面屋人魚』巻頭の口上版元「蔦唐丸」
『箱入娘面屋人魚』巻頭の口上版元「蔦唐丸」:国立国会図書館デジタル

蔦屋重三郎は1750年、吉原で生まれました。両親が離婚したため「蔦屋」を営む喜多川家の養子となります。

1773年に「耕書堂」を開業。吉原の妓楼や遊女の情報を記した今で言うガイドブック「吉原細見」を刊行し、業界での地位を確立します。

1775年には『籬の花』や『一目千本』を出版、遊女絵や風俗本で成功を収めます。さらに、戯作本や黄表紙の刊行にも進出し、喜多川歌麿らの才能を見出し、1783年には吉原細見の独占権を得て、日本橋に進出します。

その後、天明3年(1783年)に日本橋・通油町に進出。地本問屋の株を取得し耕書堂を本拠とします。狂歌師としても活動を広げ、狂歌本の出版でも成功を収めます。しかしながら天明7年(1787年)の寛政の改革により出版規制が強化されたのを受けて、政治風刺の黄表紙を刊行して高い売上を記録しますが、発禁処分や罰金処分を受け、出版内容の転換を余儀なくされます。

学術書や和算書の出版を増やし、また喜多川歌麿の美人画で市場を開拓しましたが、規制強化により歌麿と徐々に疎遠となります。その後、東洲斎写楽を起用した役者絵の出版にも挑むが短期間で終了。

寛政9年(1797年)に脚気により48歳で亡くなります。

48年という短い人生を波乱万丈で駆け抜けた蔦屋重三郎。当時の出版や文化を牽引した立役者です。

蔦屋重三郎の年表です↓

西暦和暦年齢できごと
1750寛延311月7日、蔦屋重三郎、新吉原で誕生
1757宝暦78両親が離婚。「蔦屋」を経営する喜多川家の養子になる。
1773安永224新吉原の大門口五十間道に書店を構える。
1774安永325『吉原細見』の改め『細見鳴呼御江戸』編纂に携わる。
1775安永426「蔦屋」の名で北尾重政の評判記『一目千本』を初刊行。
1776安永527『吉原細見』の出版に本格的に乗りだす。
1777安永628浄瑠璃の『富本節』の正本を手掛ける版元組合に加入。
1780安永931この頃志水燕十や喜多川歌麿などの浮世絵師と親交を深める。
1781天明元32志水燕十の黄表紙『身貌大通神畧縁記』刊行。
北川豊章が初めて歌麿を名乗る。
1783天明333日本橋通油町に進出し、耕書堂を開業。狂歌師として「蔦唐丸」を名乗る。吉原細見の株を独占し、『五葉松』刊行。
1784天明435北尾政演画『吉原傾城新美人合自筆鏡』、四方赤良編『通詩選』刊行。
1785天明536山東京伝の黄表紙『江戸生艶気樺焼』、洒落本『息子部屋』、狂歌集『故混馬鹿集』などを刊行。
1786天明637山東京伝の洒落本『客衆肝照子』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本江戸爵』刊行。
1787天明738山東京伝の洒落本『通言総籬』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本詞の花』刊行。
1788天明839山東京伝の洒落本『傾城觿』、喜多川歌麿の絵入狂歌本『絵本虫撰』刊行。
1789寛政元40喜多川歌麿画『潮干のつと』、恋川春町の黄表紙『鸚鵡返文武二道』刊行。
1790寛政241山東京伝の『小紋雅話』、洒落本『傾城買四十八手』刊行。
1791寛政342山東京伝の黄表紙『箱入娘面屋人魚』などが摘発され、重三郎は身上半減の重過料が課される。
1792寛政443曲亭馬琴が蔦屋で番頭として働き始める。母の津与が死去。学術関連書物の刊行を開始。
1793寛政544曲亭馬琴が退職。
1794寛政645東洲斎写楽の役者絵を多数刊行。十返舎一九の黄表紙『心学時計算』刊行。
1795寛政746版元として最後の錦絵(東洲斎写楽作)刊行。本居宣長の『玉勝間』刊行。
1797寛政948体調が悪化し、5月6日に脚気で死去。正法寺に葬られる。

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TSUTAYA創業者・増田宗昭(ますだむねあき)さんの経歴

増田宗昭さんは、1951年、大阪府枚方市生まれ。同志社大学卒業後、株式会社「鈴屋」に入社。軽井沢ベルコモンズの開発などを担当。退職後の1983年に「蔦屋書店」を創業されます。

1985年、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(CCC)を設立し、企画会社をスタートさせます。音楽や映像などのレンタルが主流の「TSUTAYA」の全国展開で事業を拡大し、2003年には業界に先駆けて共通ポイント「Tポイント(現在はVポイント)」を開始。

企画会社のトップとして精力的に活躍され、2024年4月からCCC会長に就任されています。

雑誌『NHK2025年大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」完全読本 NIKKO MOOK』に松平定知さんと増田宗昭さんの対談が掲載されていました。

↑こちらの本の対談によると「TSUTAYA(蔦屋書店)の由来になった人物が大河ドラマの主人公になるとメディアで報道されたこともあって、まわりの友人たちからもたくさんの連絡をもらいました」とのことで、大河ドラマの影響力の大きさを再認識しました。

蔦屋重三郎とTSUTAYAのかかわり

TSUTAYAの第1号店は1983年3月オープンの大阪府枚方市の「蔦屋書店 枚方(ひらかた)店」です。

増田さんによると

祖父が営んでいた家業の屋号が「蔦屋」であったことと、当時の書店は「○○屋書店」という屋号が多かったこともあって、昭和38年(1983)に開業した1号店を「蔦屋書店 枚方店」と命名しました。

そして、蔦重との血縁関係については、「蔦重とは血縁関係があるわけではなく、また僕が事前に蔦重を知っていたから店名に選んだというわけでもありません」とコメントされています。

「蔦屋」というのは、祖父の副業だった置屋の屋号です。祖父の本業は「増田組」という、現在のゼネコンのような仕事をしていました。(中略)枚方は江戸時代の「東海道五十七次」の56番目の宿場であり、橋のなかった当時は船を利用する人が宿泊する場所でもありました。

いろは
いろは

東海道五十七次の京都~大阪までの宿場町は『ブラタモリ』で放送してましたね。

「もしかすると祖父は蔦重のことを知っていて、それにあやかって屋号を「蔦屋」にしたのかもしれませんが、これはわかっていません」と増田さんは続けられました。

そして

祖父の置屋は、昭和3年(1958)に廃業しましたが、「蔦屋」の屋号はそのままずっと残っていました。僕は小さいころ「蔦屋のボンボン」と近所で呼ばれていたほどなので、祖父が名づけた「蔦屋」の屋号には愛着があり、なにか新しい事業をはじめるときは「蔦屋」を使いたいなと思っていました。

いろは
いろは

『べらぼう』でいうところの蔦重(横浜流星さん)の義兄役・次郎兵衛(中村蒼さん)みたいですね。

「蔦屋書店 枚方店」オープンの日のエピソード

増田さんのお話が続きます。

じつは「蔦屋書店 枚方店」をオープンした日に、『広辞苑』の「蔦屋」の項目が印字されたお祝いのファックスが届きました。このとき「ああ、こういうことか!」と思わず膝を打ち、祖父が蔦重のことを知っていて「蔦屋」と名づけたんだと勝手に解釈して、それ以来、蔦屋重三郎の「蔦屋」なんだよと言いはじめたわけです(笑)。

いろは
いろは

不思議なご縁ですね。

祖父が名づけた「蔦屋」の由来を想像したことで、その後は僕なりに蔦重のことを調べました。1号店のオープン当初、蔦重が江戸時代を代表するプロデューサーであったことを知り、僕もそれにあやかって「現代のプロデューサー」になれたらなと思ったことを覚えています。

最初に蔦屋書店を始められたときには本屋が目的ではなく、企画を作ることが増田さんのミッションだったそうです。ただ当時32歳という若さだったので、信用を得るために蔦屋書店を始められたそうです。

増田氏:企画のサンプルを紹介するためには、蔦屋書店とうい看板が必要でした。CCCの創業の理念は、歌麿や写楽といった人材が集まるような企画集団をつくることです。蔦重がやったのはまさにそれでしょう。そういう意味では、僕と似てるかなぁと思って、ますます蔦重が好きになりました(笑)。

いろは
いろは

増田さんは企画を最重要視されているとのことで、本当に蔦重と通じますね。

蔦屋書店に行ってみました。

管理人は主に配信されていない大河ドラマや総集編を見るのに、TSUTAYA DISCAS(ツタヤディスカス)を利用しています。2年前まで家の近所に大型店舗があったのですが業態が変わったので、今ではもっぱら宅配レンタルを利用しています。

ですが先日、割と近場でDVDレンタルコーナーのある蔦屋書店を見つけました。「蔦屋書店」の大型店だったので、てっきりDVDレンタルはしていないと思い込んでいたのですが、灯台下暗しです。

蔦屋書店のDVDレンタルコーナー
蔦屋書店で見つけた大河ドラマDVDコーナー
いろは
いろは

店内には「大河ドラマコーナー」「朝ドラコーナー」があって、私だけでなく他のお客さんも棚を色々見られていました。実店舗で「見渡して、眺める」魅力を久しぶりに味わいました。

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まとめ

この記事では

・蔦屋重三郎とはどんな人物なの?
・TSUTAYA創業者・増田宗昭(ますだむねあき)さんの経歴
・蔦屋重三郎とTSUTAYAのかかわり

について、お届けしました。増田さんのおじい様が経営していた枚方の置屋屋号が「蔦屋」だったのが、増田さんが開いた書店の1号店に「蔦屋」と名付けた理由だと分かりました。

増田さんのおじい様が「蔦屋重三郎」のことをご存知で「蔦屋」と付けられたかどうかは不明ですが、1号店の開店祝いのファックスで「蔦屋重三郎」のことを知った増田さんが刺激を受けて「TSUTAYA」の発展の原動力になった、という点に不思議なご縁を感じます。

いろは
いろは

2025年は『べらぼう』人気で、出版業界も活気にあふれそうですね。私もすでに7冊『べらぼう』と蔦重関連本を購入して、面白くてハマっています→べらぼうの予習に最適な本5選

今回の記事は、こちらの本を参考にさせていただきました↓

『べらぼう』の見逃しを見る方法はどうぞ↓

第1話のネタバレあらすじとみどころ、感想はこちらから↓

第1話の主なキャストについてはこちらから↓

『べらぼう』1話から最新話のネタバレあらすじはこちらから↓

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管理人いろは

中学2年生の国語の授業で平家物語「敦盛の最期」を勉強して以来、歴史ドラマにはまっています。特にNHKの大河ドラマが大好きです。リアルタイムでテレビを見る時間がないので、あとから見逃し配信を見たり、過去の作品をイッキ見して楽しんでいます。ゆかりの地を訪ねるのも楽しみの一つです。ドラマにほへとでは、管理人いろはが実際に見た大河ドラマの情報をまとめています。PCやスマホでイッキ見する方法も紹介しています。大河ドラマよ永遠に♪

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